前アンコール時代 [Pre-Angkor]
1世紀はじめ頃、メコン側の下流地域に「扶南(ふなん)」と呼ばれる国が建国されました。
6世紀頃になると、現在のラオスの南部あたりに「真臘(しんろう)」と呼ばれるクメール人による国家が興ります。もともとは扶南の属国でしたが、少しずつ勢力を増し、7世紀には扶南を併合しました。
ところが、706年ごろに真臘は、「陸真臘(りくしんろう)」と呼ばれる北部と「水真臘(みずしんろう)」と呼ばれる南部に分裂・弱体化が進み、「水真臘」はジャワ王国に支配されていました。
アンコール時代 [Angkor]
802年頃、ジャヤヴァルマン2世がジャワ王国から水真臘を解放し、分裂していた国を統一したことから、アンコール王朝(クメール王朝とも呼ばれます)が始まります。
ジャワ王国による支配を受けていた頃は、大乗仏教の影響もありましたが、アンコール時代からは基本的にヒンドゥー教による国家建設が始まります。アンコール王朝はじめの首都は、ハリハラーラヤと呼ばれました。
3代目の王となるインドラヴァルマン1世はハリハラーラヤの礎を築いた実力者として知られています。特に、当時の国家寺院として建立されたバコン寺院は、ロリュオス遺跡群最大であり、アンコール王朝初のピラミッド型寺院として有名です。
4代目の王であるヤショーヴァルマン1世は、後継者争いによって王宮が破壊されたため、アンコールへの遷都を決めます。889年、「ヤショーダラプラ」に遷都が行われました。当時の中心地は、3聖山に数えられるプノン・バケンです。頂上に寺院を建設し、環濠都城をつくりあげました。
この後、何代もの王が即位しますが、勢力争いや逝去が絶えず、あまり長くは続かなかったと言われています。
1113年、スーリヤヴァルマン2世が即位します。周辺国との戦いを重ね、王国の勢力範囲を広げていきました。また、寺院建設に熱心でアンコール時代の最高傑作であるアンコール・ワットを創建しました。
(※ 豆知識:アンコール=ワットには、鎖国以前に訪れた日本人の落書きが14カ所ほど残っています。当時は徳川家康の朱印貿易が盛んに行われ、カンボジアにもたくさんの日本町がつくられていた。当時の日本人はアンコール・ワットをインドにある仏教の聖地「祇園精舎」と勘違いしていました。)
しかし、スーリヤヴァルマン2世の没後、再び国内は王位争いが続き、1177年にはチャンパ王国からの攻撃により王都ヤショーダラプラが破壊されてしまいました。
1181年、ジャヤヴァルマン7世がチャンパ王国との戦いの末に王都ヤショーダラプラを奪還し、王として即位します。12世紀末にアンコール王朝は最盛期を迎え、タイやラオス、ベトナムの一部をも領有していました。チャンパ王国との戦いの様子は、バイヨンの壁面にも描かれています。
ジャヤヴァルマン7世は、他の王と異なりヒンドゥー教ではなく、大乗仏教を信仰していました。バイヨンやタ・プロームをはじめとして、数々の仏教寺院を建立しています。
また、寺院だけでなく、国内に102箇所の病院と主要街道に宿場を建設しました。政治や宗教だけでなく、庶民の生活にも関心を寄せていたことが窺えます。
ジャヤヴァルマン7世の没後、再び後継者争いが激しくなり、国内は混乱に陥ります。また、度重なる寺院建設に莫大な費用がかかっていたため、国力も衰退していきます。かつての支配地域から、次々に新しい国が独立していきました。
14世紀後半から勃興したアユタヤ王朝との戦いによって、王国は疲弊し、1431年にはアンコール・トムが陥落しました。
後アンコール [Post-Angkor]
この時代は、「カンボジアの暗黒時代」とも呼ばれています。1431年の首都陥落の後、当時の王はスレイ・サントーに首都を移転しました。
しかし、長くは定着せず、プノンペン、ロンヴェク、ウドンと次々に遷都。シャム(当時のタイ)やベトナムからの攻撃を受け、国力は衰退の一途を辿っていきました。かつてクメール帝国が支配していた広大な領土も次々と削られていき、シャムとベトナムからの圧力が増していきます。国として独立を保つのも危うい状態が続きました。
現在のカンボジア
アンコール王朝が弱体化し、1863~1953年までフランス植民地時代に移ります。1953年、カンボジアのシハヌーク王はクーデターを起こしカンボジアの完全独立が達成されます。しかし、1970年 ロン・ノル将軍のクーデターでシハヌーク王はカンボジアから追い出され、カンボジアは「クメール共和国」となります。
その後ポル・ポト政権時代とカンボジア内戦時代を経て、1990年に「カンボジア最高国民評議会(SNC)」の設置が合意されました。1991年にはSNCの議長となったシハヌークが帰国し、1993年には国連のUNTACがカンボジアで活動を開始、初の選挙による国民議会を作ることに成功しました。
国民議会の設立により、内戦続きだったカンボジアに平和が訪れました。